面白かった。これこそが「普通の人間」(本当はカッコのいらない)なんだろうなと思った。
ノーマスクだけど会ってみたらわりと「いい人」。
フィクションみたいなコテコテの悪党なんて現実にはそうそういない。
つまり善人だろうが悪人だろうが、基本は「いい人」。
その「いい人」でも善をなし、悪をなしうる。
有名になりたいからノーマスクやる。
功名心は人間の行動の動機、社会的欲求の最たるものだ。
たとえ慈善活動家であっても、功名心が全くないと堂々と言える人は少ないだろう。
ノーマスクは彼にとっての慈善活動なのだから、その野心を素直に口にするのはむしろすがすがしい。
将来への楽観。100歳まで生きる。
不安と猜疑に満ち満ちてしまうようでは、心身を害して何もできなくなり、廃人化してしまうだろう。
そうならないために、将来への楽観、希望は必要だ。
たとえそれがただの憶測であっても。
人間は神仏のように強くはないのだ。
ヒモ。生活費は嫁頼り。
近縁者や親友の頼りで糊口をしのいで大業をなした例は古今東西いろいろあるだろう。
マルクスもその生活費は親友エンゲルスの援助や実家の遺産頼みだった。
ラーメン○ゲのように「金が介在しないと無責任になる」なんて資本主義的野暮な発言はやめよう。
自己の労働を切り売りするだけでは産み出すことのできない価値が、この世の中には厳として存在するのだ。
人間を語るなら、「普通の人間」(本当はカッコのいらない)を語るべきだ。
アカデミー、マスコミ、ネット……ありとあらゆる場で、ありとあらゆる人間が人間について語っているが、それははたして「普通の人間」(本当はカッコのいらない)だろうか。
そこで語られているのは普通の人間(本当はカッコでくくらないといけない)しかいないのではないか。
本当はカッコのいらない「普通の人間」と向き合わねばならない。
そう、強くさとされた。