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2021/11/23 インターネットの露悪文化からは卒業する

今回、痛切に感じたこと。

インターネットの悪い文化に心身ともに染まると、良い御縁を失い、さらに悪い者たち、ひいては悪い運命をひきよせてしまう。

逆に、できるかぎりの品行方正を心がけていると、良い御縁にもめぐりあえることができ、良識のある方々とのありがたい希望にあずかることができる。

因果応報。自業自得。

たしかに、古くさい、説教めいた「ドートク」あるいは「シューキョー」なのかもしれない。

でも、その「ドートク」、あるいは「シューキョー」、そういうのを、インターネットよりもよっぽど信用できるようになった。

そう、インターネットの悪い文化なんて、もういらない。

だからといってインターネットを完全にやめるわけにはいかない。生活や仕事でどうしても使わなければいけない。

完全に卒業はできない。でも、せめてその露悪文化だけは、卒業する。

そう、口にして宣言する。

これは自分自身の、天に対する契約として。

アウグスト・バエジャ(小笠原雅之)

2021/1119 将来の夢=ホメロスとヘロドトス

そうだ、詩と史だ。そのコードをつむぐために、そのイメージをあらわすために、ここにいるのだ、と。

たとえそれが現実ではなく、架空のものだったとしても、いやむしろ真贋の別がなくなる現代だからこそ、架空の詩と史をうたいしるすべきなのだ。

ムーサよ、われにそれをなしうる力を与えたまえ!

2021/1118 ゲーム制作エターナリスト

いやはや、どれだけプログラミングに関する知識を吸収していっても、ぜんぜんゲームが完成しない。

ゲーム制作エターナリスト。自分はもはや、そういう特性なんだとあきらめた。

最近では、UnityやるならU○○RXやろ! U○○Taskやろ! とか言う文句につられて、本まで買ってみたんだが……。

いや、かんじんのマイ・ゲーム・プロジェクトは1ミリも進展していないんだが?

いくらObservalがどうのこうの理解できるようになったところで、マイ・ゲーム・プロジェクト「百合挟み」や「マ○オライク・アクションゲーム」、「シューティングゲーム」はぜんぜん、まったく、1ナノメートルも進捗がないのだ……。

イベント駆動! オブジェクト指向! デザインパターン! GoF本!

進歩、なし!

けっきょく自分がやってることは、「プログラミングのおべんきょう」であって、「ゲーム制作」などではなかったのだ……。

そりゃ、ガリガリガリとすさまじい(穏当表現)コード書いて、「動けばいいんだよ、動けば!!」と強弁するのもあなあさましき、ではあったとしても、勉強してるだけで「なに一つ成果をあげられませんでした!」ではどうしようもないでしょ、と。

自分、好きなのはそういう「おべんきょう」であって、「制作」などではなかったのだ……とあらためて認識。

ならば、やむをえまい。選択と集中!

とりあえず、ゲ制はノベルゲームの『大扶桑史』だけにしぼって、あとは絵と文章をがんばる!

選択と集中!

なんか、「選択と集中」という言葉がコウゾウカイカクとかなんとかという文脈で敵視されてる向きもありますが……。

こと、個人にとっては、とにかく使えるリソースが少なすぎる! のでしっかりしぼっていきます。

とにかく、やりたいことは無限にあるのに、寿命はもはや、あと何年あるかどうかもわからない!

なら、とにかくしぼるしぼるしぼる……。

2021/1023 確信、暴力、正義、権力、法の円転

はじめに確信があった。

確信は、暴力とまぐわい、正義を産んだ。

暴力は、正義によって聖別されて、権力となった。

権力は、正義を法と改めて、一切を相続させた。

法のもとで、新たな確信が現れる。

確信は、暴力とまぐわい、正義を産む。

暴力は、法を殺して得た血と正義によって聖別されて、権力となる。

権力は、正義を法と改めて、一切を相続させる。

そして、法のもとでまた、新たな確信が現れる。

かくして、歴史の絹糸が編まれていく。

2021/1016 民主主義が王侯貴族を産む

トラベラー世界とか銀英伝とかF91とか、最近だとアルドノアゼロみたいな未来世界なのに貴族制の設定って以前はあり得ないご都合主義と思ってたけど、最近なんか現実にそうなりそうな気がしてきたな— ないさろーる (@nysalor) October 15, 2021

王侯貴族は、あたかも世界の始原からその貴種があったかのように伝承されるものであるが、史実はもちろん、「アダムが耕しイブが紡いだとき、誰が領主であったか」の名句その通りである。

古代ローマが、王政を打倒して共和制になったというのに、王よりもさらに強力なる皇帝を出現させ、かつて王政を復古させるかのように、いやそれ以上に帝政をほしいままにさせたことは、民主主義が王をつくることの一つの状況証拠になるだろう。

わが国でも、「あずまびと」が京から流れてきた貴人と癒着するのを経て、まるで京の公家衆に匹敵するような(ともすれば凌駕するような)あたらしい貴族を続々誕生させたことを見れば、貴種は捏造されるものだとも言えるのではないか。

ならば、現代から未来にかけて、自由主義と民主主義にあるわれらが、あたらしい王侯貴族を出生させることは可能であるか、という問いには、しかり、しかりと答えるよりほかあるまい。

それはつまり、人民の平等で自由な選択こそが王と貴種を産むという致命的な逆説そのものである。

そう、宇宙の時代にすらも君主政、貴族政はあるのだと──。

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